かつてシカゴ・カブスにマーク・プライアーというとんでもないピッチャーがいた。直球は常に96マイル以上を計時し、切れ味鋭いスライダー、落差のあるカーブ、奥行きのあるチェンジアップの変化球をもつ。重心が低く、サイド気味から繰り出される球は低めに制球され、相手打者にとっては厄介な投手だった。
思い出すのは、彼がルーキーシーズンだった02年6月7日のシアトル・マリナーズ戦だ。初めて対戦したイチロー外野手を3打数無安打に抑え込んだ後、淡々と「彼はファウルで粘って相手のミスを待つスタイル。大学時代に日本の選抜チームと対戦した経験が生きた」と言ってのけたのだ。
それ以前からプライアーの名は全米に広く知れ渡っていた。01年のドラフトでカブスから全体2位で指名(同1位はツインズのジョー・マウアー捕手)され、史上最高額となる契約金1050万ドルで合意。超有望株として大きな注目を集めていた。そして、メジャー2年目の03年には18勝6敗、防御率2.43、211回1/3を投げて245奪三振という好結果で、その実力を証明してみせたのだった。
時は流れて今年6月のドラフト。そのプライアーをか〜るく越える投手が出現した。
ワシントン・ナショナルズが全体1位で指名したスティーブン・ストラスバーグがその人だ。
首位打者8回の記録をもち、殿堂入りしたトニー・グウィンが監督を務めるサンディエゴ州立大の出身。直球の最高速度は103マイル。現在のメジャー界では見当たらない豪腕だ。
その代理人を務めるのが敏腕のスコット・ボラスとあって、一時は5000万ドルの契約金を要求するのでは、との推測が出たほど。現にボラスは今年から大幅に短縮されて2カ月となった交渉期間内に合意できなければ、米国内の独立リーグや日本で“浪人”させる考え(この類の話を聞くと、ボラスが日本の野球に敬意をもっているのか疑問に思う)をもっているとも伝えられ、デッドラインの8月17日は全米が注目する日となった。
かくして、締め切り77秒前に両者は合意。発表された契約金は1510万ドル。予想された金額には遠く及ばなかったため、ややインパクトには欠けたが、それでもプライアーを大幅に上回る史上最高額となった。
ここで過去のドラフトを振り返ってみる。
メジャーリーグで同制度が採用された1965年以降、今年まで全体1位で指名された選手は45人。投手ではストラスバーグが14人目となる。ところが、その期待の大きさの割には殿堂入りしている投手はだれもおらず、勝利数でも81年にドラフトされマリナーズやオークランド・アスレチックスで活躍したマイク・ムーア投手の161勝が最多。素質だけでは超一流になれないということを物語っている。
悲劇で知られるのは、73年にドラフト史上初めて全体1位指名投手となったデービッド・クライドだ。高卒ながら当時史上最高額の12万5000ドルで契約し、わずか1カ月足らずでメジャー初登板を命じられた。チームは当時、客の入りがかんばしくなかったテキサス・レンジャース。観客動員数をアップさせたいオーナーが、2試合限定でメジャーに昇格させたのだった。
ところが、デビュー戦で初勝利を挙げると、2度目の登板でも好投すると、地元は異常な盛り上がりを見せる。結局、その年はシーズン最後までメジャーに在籍し18試合に登板したまではよかったが、翌年に右腕を痛めてマイナー落ち。その後はパッとせず、26歳の若さで引退を余儀なくされた。
ストラスバーグ同様、100マイルを超える剛球を誇り、97年にデトロイト・タイガースから「いの一番」でドラフトされたマット・アンダーソンもしかりだ。一時は抑えを務めていたが、右腕の故障に苦しみ、メジャー在籍7年、15勝7敗26セーブの記録を残して、ユニホームを脱いだ。
冒頭で紹介したプライアーも03年シーズン終盤から右ひじの痛みや、アキレス腱の故障に苦しみ、06年以降はリハビリの日々。再起を誓って08年にサンディエゴ・パドレスへ移籍したが、投げるボールは全盛期にはほど遠く、今年8月1日にリリース(戦力外通告)されている。
8月21日に行われた入団会見でストラスバーグは背番号「37」のユニホームを手渡され、満面笑みを浮かべた。一時はロスター(ベンチ入り)枠が拡張される9月にメジャーに昇格させ、73年のクライド、89年のベン・マクドナルド投手(ボルティモア・オリオールズ、通算78勝)に次ぐ、史上3人目のドラフト年メジャーデビューもうわさされたが、最終的には10月から始まるアリゾナ秋季リーグに参加させることで落ち着いた。
近年稀に見る逸材。投手としての実力はすでに証明しているが、メジャーリーガーとしてのそれはまだゼロと言っていい。毎年最下位に沈んでいるチームだからこそ、長期的なプランをもってじっくりと育ててもらいたいものだ。
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