歴史の勉強をかねて、のこの旅。小学生の息子はただいま学校でアメリカ建国史やその関連人物を一生懸命勉強している最中。ジョージ・ワシントンだの、独立宣言だの、作者にとっても「ふ〜ん、そうだったの」とタメになる内容。200年ちょっとの歴史、日本史よりはかなり短いけれど、それだけに臨場感あふれる内容と実際に目にできる史跡がたくさん残っている。せっかくアメリカに住んでいるのだ、ここはひとつ家族みんなで建国の歴史を学びに行こうか!と張り切って「友愛の街
- フィラデルフィア」に出発する事に。
■いざ、アメリカ歴史の旅へ出発!
シカゴから飛行機で約二時間、フィラデルフィア空港に降りた編集者は、さっそくレンタカーをかりてオールドタウンにある「インディペンデンス国立公園」へと向かう。途中みえてくるのは、ゴールデンゲートブリッジのような大きな橋。色は赤ではないけれど、見た目はとっても重工で美しい。その名も「ベンジャミン・フランクリン橋」。アメリカ独立の歴史にはかかせないフランクリン氏(後ほど詳しく)、「そういえば100ドル札にも載ってるじゃない? 見せてよ!」と言う息子の発言に「私の懐にはそんな大金が入っていない」と、確認できないまま橋を跡に・・・。
■インディペンデンス国立公園
三十分もすると、インディペンデンス国立公園のある旧市街に到着! ビジターセンター近くの駐車場に車をおき、いざ観光をはじめよう、とその時「インディペンデンス・ホールのツアー券」という文字が目に入る。係の人によると「このホールの中へはツアーの人のみが入場できる。たくさんの団体旅行者や修学旅行者も来るので、あらかじめツアーの時間を予約しておいた方が無難」との事。と言うわけで、都合の合う時間を予約する。公園はさほど広くもなく、徒歩で回れるスペースの中にたくさんの歴史的見物が点在している。歩きやすい靴を履いて、さぁ出発!
(インディペンデンスホールのツアーは、インターネットでも予約可能。詳しくは、http://reservations.nps.gov/)
ビジターセンターでは、パークレンジャーの人達がにこやかに質問に答えてくれたり、マップを渡してくれたりする。「そっか、ここも国立公園ね」と納得させられる緑色の制服、しかしあのカウボーイハットのような帽子はここでは必要なさそうだが・・・。他の国立公園というと渓谷があったり、はたまた熊が出てきたりで「自然がいっぱい」な雰囲気だが、このインディペンデンス国立公園はひと味違う。いかにも文系、歴史に強そ〜なレンジャー達。それにたっくさんの古めかしい建物の数々、歴史の説明がいっぱいつまった博物館。どことなく厳かな雰囲気が漂い、この国立公園の「ユニークさ」を感じる。
■フランクリン・コートと英国教会
まずは先ほどお目にかかった橋の名前にもなっていたベンジャミン・フランクリン関係の史跡から。アメリカ国内外、名前を知らない人はいないくらいの有名人、その肩書きがすごい。「科学者」「政治家」「外交官」「発明家」「大学創立者」「消防署所長」「印刷工」「郵便局長」とまだまだ続く。独立宣言の起草委員、イギリスやフランスとの外交交渉委員、それに憲法制定会議にも参加、と、彼の貢献なくしてアメリカの独立は産まれなかっただろう、という人もいるくらい。このフランクリン・コートは、そんな彼が亡くなる前数年を過ごした家であり、4つの建物から構成されていた。
現在は白い骨組みだけで再現されているが、1786年に建築された時は3階建てのレンガ作りだったらしい。ヨーロッパ外交などで家を空ける事が多かったフランクリンがここに住んだのはわずかの間、しかし彼はこの家をこよなく愛し「良い家は私の思想の基となる」という言葉を残した。現在国立公園内の一番新しい名所として存在し、また建物跡の一部は今でも郵便局として使われている。骨組み家の地下には博物館も付け加えられ、展示物の数々はフランクリンの溢れんばかりの才能がめじどうし。当時の印刷機やら防火設備やら、息子いわく「やっぱさすが100ドル札のおじさんは偉い!」のだ。
家の跡から北に1ブロック程行くと、彼のお墓も見る事ができる。白い塔の美しいクライストチャーチ(英国教会)の墓地では、ベンジャミン&デボラ夫妻が仲良く眠っている。初代大統領ジョージ・ワシントンもこの教会の礼拝に参加していたとか。他にも、独立革命で命を落とした人々の魂がここに宿り、また建物の中も拝見できるとあって、アメリカ人にとってはとても神妙になる場所(らしい)。そういえば、もともとピューリタンが新大陸にやってきた理由は「宗教の自由」。植民地時代から、この教会の中でたくさんの「祈り」が捧げられてきたに違いない。
●フランクリンコート Market Street と4th Street
●英国教会 Arch Street と5th Street
■カーペンターズホールと第一銀行
カーペンターズといっても「エブリ〜シャラララ〜…」の歌手グループではなく、いわゆる大工さんの意味のカーペンター。では、なぜ建設業者組合の建物が、インディペンデンス公園の中にあり、はたまた重要な意味を持っているか? それでは、ちょっとしたストーリーも含めて見物してみよう。誰もが知っている「独立宣言」が州議事堂で採択されたのは1776年7月4日。植民地13州の代表者が集まり宣言書をサインしたのは有名な話。しかし、この会議の参加者は「独立宣言会議」という名で集まったわけではなく、「第2回大陸会議」という名のもとに集合したのであ〜る。ン? 第2回? ってことは1回目があるはず・・・?
そこで登場するのがカーペンターズ・ホール。独立宣言の2年前に行われた「第1回大陸会議」ではこの建物が会場となった。当時建物業者の組合はとても「急進的」であり、たくさんの「独立」「自由」を唱える討論が聞こえたとか。大陸会議の場所を決めるにあたって、州議事堂では「保守的な州議員達のノリが強い=アメリカの自由への改革が拒まれる!」のではないか? と心配した急進派達(二代目大統領ジョン・アダムスなど)が、この建設業組合の建物を利用する事を提案したらしい。大工さんのホールもこの国の建国に一役買って出た、という訳。ちなみにご近所さんベン・フランクリンは、このホールに自分の蔵書を持ち込み、それがたまりにたまって結局は全米初の図書館システムが産まれた、という逸話もある。
このホールの近くにあるギリシャ神殿のような建物。こちらは「アメリカ第一銀行」なり。その名の通りアメリカで最初の銀行、初代財務長官アレキサンダー・ハミルトンによって提案され、国家の中央銀行として存在した。それにしても大理石たっぷり、大きい鷲のデコレーションも高らかに舞っていて、公園内の他の建物とはちょっと違うおもむき。茶色いレンガに白い塔、といった感じの穏やかな建物が多い中、この第一銀行は非常に重たい、厳かな雰囲気。ちなみに公園内には合衆国第二銀行も存在し、こちらもかなりグリークな作り。第二の方は内部が「歴史公園肖像画ギャラリー」となっていて、アメリカ建国に携わった人々の肖像画が見る事ができる。
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合衆国第一銀行 |
カーペンターズホール |
●カーペンターズ・ホール
Walnut Street と Chestnut Street の間 と 4th street
●合衆国第一銀行
カーペンターズホールから
3rd street へ向かう
●合衆国第二銀行
Chestnut Street と 4th と 5th の間
■トーマス・ジェファーソンとベッツィ・ロス
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トーマス・ジェファーソン |
アレキサンダー・ハミルトン |
ジョージ・ワシントン |
ジャファーソンは当時ぴちぴち若き33歳。そんな彼にベン・フランクリン&ジョン・アダムスが近付き「ちょっとキミ、再来週くらいまでに独立宣言書いといてくれる?」と言ったかどうか・・・?たっぷりのプレッシャーを感じ、あ〜でもない、こ〜でもない、と悩みつつ、ジェファーソンが独立宣言書を書きあげた場所がこのグラフハウス(またの名をDeclaration
House)。そりゃあ国の将来を決める大仕事と
なれば、故郷バージニアに戻っている暇はない! 彼はこの建物の二階部屋を二週間ほど借り、インクと紙に埋もれる生活をすることに。三代目大統領も勤めた彼。またしてもここにアメリカ誕生にはなくてはならない「建国の父」がいたのだ。
さてさて、突然ですがアメリカの国旗クイズ。星の色は何色?横縞は何本? ここで注目したいのが「星の数」。現在の旗と1777年当時の旗では星の数に大違い。当時は13州しか存在しなかったアメリカ、今となっては50州。星の数は州の数というわけで、今では星達もなんだか窮屈に並んでいるような・・・、それはさておき、次の質問「この国旗を最初に作った人は誰?」答えは「ベッツィ・ロス」。敬虔なクエーカー信者の彼女が一役有名人になったそのいきさつとは?
新しい国が産まれたんだから、新しい国旗を! それまでの植民地時代の旗は様々で、蛇がいたり、木の絵があったり・・・、そんなわけでアメリカとして統一されたデザインが必要となり、ジョージ・ワシントンから命令を受けて新国旗を製作したのが、当時フィラデルフィア一番の裁縫職人のベッツィおばさんだった。
彼女の家は現在博物館となっていて、当時の生活ぶりがのぞけるような展示だ。家具やキッチン用品もちろん裁縫道具もある。階段がせまく急なので、足もとに注意しながら観覧しよう。ベッツィの生涯は波瀾万丈、再婚を繰り返しながら家と仕事を切り盛りし、また二人の子供を病気で亡くし・・・。まさに建国時代の肝っ玉かあさん! という感じ。ちなみにこのベッツィ・ロス・ハウスは国立公園の管轄内ではないのだか、そんな事を気にせずもう少し北に足をのばすと、「エルフレス小径」という一角がある。ここはアメリカ最古の住宅地(現在も普通の家として人が住んでいる)でタイムトリップしたような眺め。今にも馬車が通る音や、コロニアル風のドレスを着た女性達の声が聞こえてきそうな雰囲気だ。
●グラフ・ハウス
Market Street と 7th street
●ベッツィ・ロス・ハウス
Arch Street と Bread Street
●エルフレス小径
Elfreth Street と 2nd と Front の間
■腹が減ってはいくさはできぬ
ここでちょっと休憩。お腹も減ってきたしランチ! と、作者が密かに楽しみにしていたフィラデルフィア名物サンドイッチを食べてみる。まずは「ホーギー・サンドイッチ」。要はサブマリン・サンドイッチなのだか、イタリア系のパンにオイルをしみ込ませるため、柔らかい口当たり。そこに「これでもかぁ!」とハムやチーズやレタスをはさみ、その上に塩とオレガノやバジルなどのハーブ類を散らし・・・、という物。お好みでマヨネーズやチリなども入れてもらえる。もう一つは「(フィリー)チーズステーキ」だ。しかしだまされてはいけない、ステーキと言っても実はバラ肉をタマネギと一緒に炒めたもの。そこにチーズをはさみ、とろとろに溶けた所でパクリ! 肉汁が絶妙にパンにしみ込んでいて、もうほっぺた落ちそう。
せっかく歴史の足跡を歩いているんだから、食事も当時をしのぶ物を・・・、というあなたには「City
Tavarn」がおすすめ。18世紀当時の格好をしたスタッフに囲まれてのお食事。レストランの内装も1773年開業からなるべく変わらないようにしているとかで、まるでタイムトリップしたような雰囲気。アヒル料理やウサギ料理、おもしろい所では「マーサ・ワシントン(ジョージ・ワシントンの奥様)秘伝のターキー料理」なんてのもある。ちなみに、ぜひトライしてもらいたいのが「ワシントンまたはジェファーソンによるレシピ」で作られたビール。インディペンデントな味がするビールに喉をうるおしてみよう。
●シティ・タバーン
Walnut Street と 2nd Street
■リバティ・ベル・パビリオン
建国に携わった人々の足跡を見て回って、だいぶ心高まってきた(ような気がする)ので「自由の鐘」を見学に行く事にした。そう、アメリカの象徴のひとつでもある、あの亀裂の入った鐘。今ではもう鳴らす事はないけれど、この鐘の音が作り出した愛国心は今でも人々の心にしみわたっている・・・、とロマンティックにまとめた所で、さて実際を見に行こう。第一印象は「でかい!」のだ。いかにも重そうな造り。そしてかなり近〜くで見る事ができてびっくり。ガラスケースなどに入っている事もなく、あるのは見学者が入りすぎないようにするための細いロープと、パークレンジャーのおにいさんだけ。結構厳重なセキュリティチェックがあっての入場だったので、なんだか腰抜けした気分。
鐘をよ〜く見てみよう。「全ての人に自由を告げる」と刻まれた一トンの巨体。今まで本や写真で見た通り、あの「ひび」はしっかりと入っている。実はこの亀裂がいつ入ったかは定かではないらしい。どうもイギリスの工場から鐘が送られてきた1751年当時からこの亀裂のもとは存在していた、という噂。それでも公式行事を告げる鐘として、90年間しっかり働き続けたんだからえらい! もちろん、その仕事の中でも一番有名なのが、1776年7月8日の音色だろう。インディペンデンス・スクエア」に集まった市民達に「イェ〜イ! 独立宣言が出されたぞォ〜ッ!」とばかりカーン、カーンと鐘を響き渡らせたらしい。
●リバティ・ベル・パビリオン
Market Street と 5th と 6thの間
■独立宣言記念館
さてさて、作者のインディペンデンス国立公園見学の中でも一番楽しみにしていた独立宣言記念館。予約していたツアー時間よりも45分前に記念館に入るためのセキュリティゲートに到着。週末のためか、かなりの列ができていたので、実はゲートを通った時にはもう予約予定時間すれすれだったのだ。見学の時間区分は余裕をもってしたいもの。パークレンジャーが「ほい、じゃ3時のツアーグループ、出発!」と20人ばかりのグループを連れていったのは、小さな会議室のような部屋。ここで簡単な独立宣言までの経緯や建物の説明がある。その他「あなたは何州から来たの?」「ほ〜、北京から?」と参加者の気持ちをなごませる会話がはずむ。
この建物は1756年完成、「ペンシルバニア州議会議事堂会議室」というのが正式な呼び名。ここで起きた5つの大切な出来事は、
1)ジョージ・ワンシントンを植民地軍の司令官に任命
2)ジョン・アダムスが各植民地を州と認める事を提案
3)リチャード・ヘンリー・リーが植民地の自由を「ヘンリー決議案」として提出
4)トマス・ジェフーソン製作の「独立宣言」が採択
5)ジョージ・ワシントン議長のもと憲法制定会議が開催と、アメリカ合衆国建国の劇的なドラマの幕開けは、この会議室からはじまっているのだ。
うす緑の壁に囲まれ、テーブル&椅子が並んだ部屋の中はなんともいえない厳粛な雰囲気。レンジャーが「ここがジェファーソンの席、ここはアダムスの席・・・」と教えてくれる。独立宣言採択の年の7月は特に気温が高く、みな汗かきかき討論を繰り返したとか(それにあの白いソックスやひらひらのシャツの服装はどうみても暑い)。ちなみに作者が興味をもったのはRising
Sun Chair と呼ばれる椅子。憲法制定会議中はワシントン初代大統領が利用していたこの椅子には、いかにも「アメリカンドリーム」的な逸話がある。合衆国憲法が初めて署名される時、感きわまったベン・フランクリン氏、「この椅子をみてごらん。我々の国の太陽はのぼっているのじゃよ、消して沈むのではない」とまぁ、映画のワンシーンのようじゃぁないですか?
■見学を終えて
公園をひと回りして戻ってきたビジターセンター。ここにはギフトショップもあり、その品揃えはひじょーにまじめな歴史書から、子供用に作られた「植民地時代の着せ替え人形」やら、とにかくバラエティに飛んでいる。この中で我が息子がみつけたお土産は「独立宣言書のレプリカ」と「13植民地のお金」。レプリカは、わざと古めかしい紙でできていて、ご丁寧に端の方が色あせていたりする。サインをみると、フランクリンも、ジェファーソンも、みんないるいる! そしてお金の方は、当時まだアメリカとして統一された紙幣のない頃、各州で使われていたお金のコピー。どちらも子供のお小遣い程度の値段で売られている。
■旅の前に予習を!
作者達がインディペンデンス国立公園を非常に興味深く見学できた理由に「予習」があげられるだろう。いやいや、教科書を開いて勉強してから、という訳でない。アメリカ建国の舞台を題材にした内容の映画やテレビ番組のコピーを見ていたのだ。例えばミュージカル映画、その名も「1776」。フランクリンが歌って踊る、ジェファーソンが彼女といちゃいちゃしながらも起草文を書きあげる、となんだかとても「人間的」バージョンの歴史舞台をかいま見る事ができる。また、スヌーピーシリーズの一つ「The Birth
of Constitution」も作者のおすすめ。お子さま用に作られているのかもしれないが、憲法会議が行われた様子を歴史に沿って簡潔にまとめてある所がとても分かりやすい。チャーリー・ブラウンやスヌーピーが州議事堂に登場し、憲法制定に一役かうという話はフィクションだとは思うが・・・。どちらもレンタル屋や図書館で借りられるもの、アメリカの歴史に興味のある人にもない人にも見てもらいたい。
毎年7月4日の独立記念日はパレードや花火で大盛り上がりのアメリカ。自分の国が誕生した事と、それに関わったたくさんの建国の父(母も)に感謝しよう! という思いがいっぱいなのだろう。愛国心バリバリの日。今までは「日本人だから関係ないや」と思っていたが、今回の旅行を通してアメリカ人の建国に対する熱い情熱みたいなものが感じとれたような気がした。
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