人を助けるココロ
暖かい土曜日。近場のコーヒーショップまでコンピューターを片手に向かいます。春の光を少しでも感じようと窓辺の席をとりました。その日は町のお祭りで静かな町もいつもと違う活気がありました。コーヒーショップもお祭りを楽しむ若者達でにぎわっていました。
何となく外をみていると、信号を待っていた車がそのまま動かなくなってしまいました。運転手は焦るように緊急ランプを点灯し、携帯電話を手に取ります。『大丈夫かな?』と様子を見ていてもいっこうに車は動きません。それどころか、緊急ランプがついているにも関わらず、後ろから来る車はクラクションを鳴らし始めました。焦りに焦りが重なり、運転手もどうしていいか分からない様子。店員さんにコーヒーひとつオーダーし、それを持って車まで歩きました。『大丈夫?』、運転手は『う〜ん...参ったね。まだ助けが来るまでに時間がかかるみたい。だれか一緒にこの車を道の脇まで押してくれないかな...』私は即座に、『ちょっと待ってて!コーヒーショップにお兄ちゃん達が沢山いたから、呼んでくる!』。 迷いも無くコーヒーショップに戻り、お兄さん達のいるテーブルへ向かいました。『車が道の真ん中で故障しちゃったみたい。助けて下さい。』と説明する私を見て、今まで盛り上がっていた若者達がとても驚いたように、そしてすぐに冷めた目で『なんで僕らが?』と答えます。『車が道の真ん中で...』と車を指差しながら説明する私をうっとうしそうに見ながら、『俺の財布を取るつもりなんだろ。』その言葉を聞いたとき、初めて『もしかして、助けてもらえない?』そんな思いが私の心をよこぎりました。どうしよう?どうしよう?こんなに沢山の人がいるのに、誰一人、目の前にいる困っている人を助けてあげられない。アメリカって人助けをしても、反対に訴えられる可能性もあるから...でも、みんなこの状況を一部始終見ていたはずなのに...自分の生まれ育った故郷では、大人は困っている人を見かけたら絶対素通りしなかった...昔の光景を思い出しながら、今、私が立たされていた状況に悔しさと焦りで涙が出てきました。とにかく車まで戻ろう。私は車の方へと急ぎます。車の近くまで行くと、どこからか白髪のおじいさんが来て、車を押し始めているのが見えました。その後ろにはおじいさんの幼い二人の孫の姿がありました。孫達の目におじいさんはどう映ったんだろう?この子ども達の心にどう残ったんだろう?
この出来事を通して、人を助けてあげようと思う気持ち、優しい心、相手を大事に思う気持ちをどのようにして子ども達に伝えていけばいいのだろう?と改めて考え直しました。
幼稚園に帰って、子ども達にすぐこの話をしました。困っている人を見つけた事。助けてあげようと思った事。でも誰も来てくれなくて悲しかった事、悔しかった事...。子ども達は真剣に私の思いを聞いてくれました。大人が子ども達にできる事は、優しさを見せてあげる事。困っている人を見つけたら自分のできる範囲で助けてあげる事。『大丈夫ですか?』の一声をかける事。小さな優しさでも、子ども達はしっかりと見ています。私達大人が他の人に優しくする事によって、子ども達は自然に優しさとは何かというものを学んでいくと思うのです。未来を背負う子ども達に私達大人が今できる事。それは自分の事ばかりを考えるのではなく、他人の気持ちになって考え、行動できる大人になってもらう事。 小さな事かもしれません。でも、大切な事。 私達大人は子ども達に大切な事を身をもって教えていく責任があると強く感じた出来事でした。
大きく育て!子ども達!
元気に育て!子ども達!