見守る子育て
雨上がりの空の下、今日も子ども達の元気な声が聞こえてきます。雨でできた水たまりで泥団子を作り、たこ焼き屋を始める子ども達。タンポポをつぶして色を取り出し、たんぽぽジュースをつくったり、ツリーハウスにビニールシートを張り巡らし雨をしのげる『秘密基地』を作ったり。『先生、ひも持ってきて!先生、ジュース入れるコップちょうだ〜い!』一年間、幼稚園で遊び、考える力を育んできた子ども達。子ども達の遊び方も季節と共に変わっていきます。
子ども達が安全な場所で自由に、そして自分の遊びを選択できる環境を大人が整えてあげる事。それは子ども達に『考える力』を与える事にもつながっていくのです。『自由、自由と言うけれど、本当は放置しているだけじゃない?』と思われてしまうかもしれません。そう見えるのは確かかもしれませんね。だって大人が子どもの活動に参加し、『上手ね』『これはいけない。あれは危ない』『こうすると上手くいく』と常に助言し、答えを与えてる事をしていないから。確かに子ども達には大人の助言も必要な場合もあります。しかし、バランスが大切なのです。
子ども達を自由に育てると言う事は子ども達を見守り、子ども達の力を信じ任せてみる大人側の体制だと思うのです。
『子どもの為』と常に子どもと一緒にいる事、常に助言し、子ども達の身の周りの事をしてあげる事が子ども達にとっていいのか?と言うとそうでないときもあるのです。
子ども達がやりたい事を挑戦させてあげる。そのお手伝いをしてあげるのが先生達、大人の仕事です。森でも子ども達は自由に自分達の遊びを広げています。木に登ったり、小川で遊んだり、たき火で焼き芋を焼いたり。先生達は『これしなさい、あれしなさい。』と指導する事はありません。先生達の見守る中、自由に遊ばせているのです。ふざけなくてもけがをする時がある。だから気をつけよう。この木は枝が細いから、二人でのると折れてしまうかもしれないね。と子ども達に気づかせてあげるのです。森の中でも子ども達は自由です。そして指導者は子ども達の様子を常に見守っているのです。
保育中、子ども達がけんかをしたり、意地悪をして相手を泣かしてしまったり、それを私達はじっと見守る訳です。『やめてよ!だめじゃない!』と叫びたい言葉をこらえて...とても歯がゆく、子ども達の顔をみていると見守っている側も泣きたくなります...でも我慢して見守るのです。先日も二人の子どもがけんかを始め、周りの子ども達が集まってきました。『ごめんなさいって、言った方いい。』『お兄ちゃんなんだから、貸してあげた方がいい。』いろんな意見が子ども達から出てくる中、二人はずっと黙ったまま帰りの会を迎える事になってしまいました。帰り際に一人の男の子が『たーちゃん、ごめんね。』と小さくささやき、『うん。いいよ』って言えたんですよね。子ども達は自分達なりに考えていたのです。子ども達は自分達の力で人とつながる力をつける事ができたのです。『ほら、ごめんなさいっていいなさい。』と大人が指導する。それができるのにあえて我慢し、見守る。難しい事です。でもそれが大人の仕事なのです。子ども達一人一人、年齢、性格によってアプローチの方法ももちろん異なりますが、どれだけ子ども達を助けてあげればよいのか? 自由保育には子ども達とその状況を見極められる高度な経験と技術が求められてくるのです。
自由に、そして伸び伸びと自分のやりたい遊びを好きなだけできる環境の子ども達の顔は、文面では表現できないぐらい輝いています...『僕たち大きくなってるよ!僕たちすごいんだよ!』のウルトラオーラが子ども達から放ちだされ、子ども達の成長の一瞬一瞬が見れた時、まるでドキュメンタリーの映画でもみているようで、涙が出てきます...『先生、また泣いてるよ。ね、先生、お外に遊びにいこうか?』と、子ども達の優しさに包まれて保育ができる幸せ、子ども達にとって私は、先生であり、子ども達を愛する一人の大人でもあるのです。子ども達と一緒に笑ってくれる時もあれば、叱られる時もある。でもどんな時でも一緒になって考え、理解し、愛してくれる。それを子ども達はしっかりと感じているのです。これからも子ども達の力を信じ、見守っていきたいです。
大きく育て!子ども達!
元気に育て!子ども達!