今季からシカゴ・ホワイトソックスに加わるダラス・カイケル投手の発言が大きな注目を集めたのは1月末のことだ。
「何よりもまず、チームのみんなが謝罪すべきだと僕は思います」
アメリカ球界を激震させ、今なお揺れている『サイン盗みスキャンダル』。その1週間ほど前にメジャーリーグ機構(MLB)の調査により、ヒューストン・アストロズが2017年に電子機器を用いて相手捕手が投手に出す球種のサインを解読し、打者に伝えていた事実が公にされた。2017年と言えば、アストロズがワールドシリーズでロサンゼルス・ドジャースを4勝3敗で破って球団史上初のチャンピオンになったシーズンだ。カイケル投手は当時、アストロズに所属しており、エースとして活躍していた。投手だったため、サイン盗みに直接関与することはなかったが、味方打線の援護を受けて勝ち星を手にする恩恵を受けていた可能性は十分に考えられる。
「個人的にはこのような状況になってしまったことを申し訳なく思う」
アメリカのメディアはこぞって、「カイケル、選手で初めてサイン盗みを謝罪」などの見出しをつけて大々的に報じた。
ただ、この謝罪に潔さを感じられず、後味を悪くさえしたのは、カイケル投手が先に挙げた言葉以外にも多くのことを発したからだ。
「申し訳なく思う」の前にはこんな話をしている。
「たぶん8チームのうち6チームは2種類以上のサインを使用していただろうね。それが今の野球の現状ですよ。それがルール違反だったって? はい、その通りです」
つまり、電子機器によるサイン盗みに気づいたチームはその対抗策として複数のサインを使って相手をかく乱していたということになる。MLBの調査でも、時間の経過とともにサイン盗みの効果が薄れてきたとの選手の証言があったと報告されている。
もちろん、サイン盗みは今に始まった問題ではない。よく知られているところでは、二塁走者が塁上から捕手のサイン(球種)やミットの構えた位置(内角、外角、高め、低め)を、一、三塁コーチが相手投手の癖やボールの握りから判別した球種を打者に伝えていたと言われている。今回問題視されたのは、人間の目や脳みそではなく、電子機器=テクノロジーを利用した点だ。
メジャーリーグが調査に乗り出すきっかけとなったのは、カイケル投手の当時のチームメイトだったマイク・ファイアーズ投手によるスポーツサイト「ジ・アスレチック」での告発だ。センターに設置されたカメラがとらえた捕手が股間から出すサインの映像をベンチ裏にあるビデオルームで瞬時に解析し、ごみ箱を叩くなどして球種を打者に伝えていたというもの。事実確認はされなかったが、ユニホームの下に体感できる機器を装着していたとのうわさも流れた。
「マイク(・ファイアーズ)が明らかにした事実や言ったことは多くの人間にとってハッピーではないよ。同時に彼らの声の中には後悔もある。その思いはこれからもずっと続いていくだろうが、当事者たちにとっては生々しい記憶として残っていくのは間違いないと僕は思う」
あの野郎、裏切りやがって。そんな思いがカイケルの言葉からにじみでていた。実際にファイアーズの行動に対して、何をいまさら、という声もある。
しかし、これは何もメジャーリーグの世界に限ったことではない。自分の職場やコミュニティに置き換えることができる。目の前で起こっている不正に声を上げるか、見て見ぬふりをするのか。ファイアーズのようにチーム(職場)が変わってから真実を暴露するのか。
また、自分が告発した同僚の立場だったらどう感じ、どう行動するだろうか。カイケルのように謝罪し自身の見解を述べるのか、その他の大多数の選手と同じようにノーコメントを貫くのか。
メジャーリーグ界を揺るがしている『サイン盗みスキャンダル』。決して他人事ではない。
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