メジャーリーグ、シアトル・マリナーズのイチロー外野手(45)が3月21日、東京ドームで行われたオークランド・アスレチックスとの試合後に会見を開き、現役引退を表明した。
1991年秋のドラフトでオリックス・ブルーウェーブ(現バファローズ)から4位で指名され、翌年7月11日のダイエー(現ソフトバンク)戦で1軍デビュー。以来、通算28年のプロ野球人生で3604試合に出場した。日本とアメリカの合算に賛否はあるが、試合数と4367安打は、ピート・ローズ氏のもつメジャーリーグ記録の3562試合、4367安打を上回る。
成し遂げてきた偉業は枚挙にいとまがない。2004年のシーズン262安打、メジャー1年目の2001年から2010年までマークした10年連続200安打はメジャー記録としてその歴史にさん然と輝く。年間打率トップの首位打者は日本で7年連続、メジャーでも01年と04年に獲得。通算盗塁数は708個で盗塁王のタイトルも日米で1回ずつ獲っている。守備に優れた選手に贈られる賞(日本はゴールデングラブ賞、メジャーではゴールドグラブ賞)には1994年から17年連続で選出されている。打つこと、走ること、守ること、すべてを兼ね備えたオールラウンドプレーヤーだった。
メジャーリーグではマリナーズ(2001年〜2012年途中と18、19年)、ニューヨーク・ヤンキース(2012年途中〜2014年)、マイアミ・マーリンズ(2015年〜2017年)の3球団でプレー。マーリンズ時代の2016年8月7日のコロラド・ロッキーズ戦ではメジャー通算3000安打も達成している。
イチロー選手は敵のチームとしてシカゴでもプレーしており、カブスの本拠地リグレーフィールドでは通算13試合に出場して打率・276(29打数8安打)を、ホワイトソックスの本拠地USセルラーフィールド(現ギャランティード・レート・フィールド)では通算59試合で打率・302(242打数73安打)を残している。また、ミルウォーキー・ブルワーズのミラーパークでは21試合、打率・268(56打数15安打)、デトロイト・タイガースのコメリカ・パークとの相性は非常によく、64試合で打率・342(269打数92安打)だった。
シカゴの選手に限って言えば、イチロー選手が実戦で初めて三振を記録した相手がカブスのケリー・ウッド投手。2001年3月5日のオープン戦で空振り三振を喫している。その1週間後の同12日のホワイトソックスとのオープン戦では、ジム・パーケイ投手から実戦初の死球、14日の試合でも死球を食らい、日本では大きなニュースになっている。
シカゴを舞台にした名勝負は何と言ってもホワイトソックスのマーク・バーリー投手との対戦だろう。
同投手は000年から16年間、メジャーでプレーし、214勝を挙げた左腕。投球テンポがよく、けがにも強かった。鉄腕の証しでもある年間200イニング投球を01年から14年連続で記録し、現役最後の年となった2015年も198回2/3を投げている。ホワイトソックスにはデビュー年から2011年まで所属して161勝をマークし、背番号「56」は永久欠番になっている。
イチロー選手がバーリー投手と初めて顔合わせとは2001年4月29日。初打席で空振り三振に倒れるなど、3打数無安打と苦杯をなめている。しかし、通算成績ではイチロー選手が圧勝している。「通算50打席以上」という条件に絞れば、対戦打率・409(66打数27安打)。これはイチロー選手にとってベストの数字で「左投手は左打者に有利」というセオリーを覆す結果を残している。その際たるものが2004年9月4日の対戦だ。
「1番・ライト」で出場したイチロー選手は初回の打席で左前打を放つと、四回は左翼線安打、六回には右前打、さらに七回には適時中前打。4本目の安打の後、バーリー投手はマウンドからイチロー選手に向かってキャップを脱いで、文字通り、「脱帽」のジェスチャーで敬意を表した常々、同投手との対戦を「紙一重」、「脳みそを使わないと打てない」と表現しているイチロー選手は試合後、「個人的にはすごく面白かった」と感想。九回の打席でリリーフ投手から5本目のヒットを打った後にはシカゴのファンからスタンディングオベーションを受け、「ああいうのを見ると野球に対する気持ちというのはすごい熱いんだなと思いますね。勝ち負けではない。改めてそういうことを感じますね」とも話している。
記録にも記憶にも残る偉大な選手。バーリー投手との対決のような名勝負をもう見ることができなくなると思うと、改めて、その引退が惜しまれる。
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