|
ゴルフの松山英樹選手が世界ランキングで日本人選手では史上最高位となる2位に浮上したのは6月中旬のことだ。日本人選手では自身と中嶋常幸選手が記録した4位を上回る偉業だった。
過去2年の成績をポイント化して決定するランキング。松山選手の順位を押し上げる要因となったのが、6月に開催された年間4つあるメジャー大会のひとつ、全米オープンだった。優勝賞金216万ドル。総額は史上最高となる1,200万ドルの大イベント。第117回大会の舞台となったのはウィスコンシン州にあるエレンヒルズGCだ。
1番ホールのティーグラウンドに立てば一目瞭然だが、このコースを一言で表現すれば「荒野」。フェアウエーは広めだが、少しでも外せば、細く長い草、フェスキューが待っている。膝上まで伸びた深いラフは、練習ラウンドを回った複数の選手がSNSで不満をぶちまけるほど厄介なもの。
さらに木がほとんどない。18ホール回って目に付いたのは3本ほど。つまり、風を遮るものがない、吹きさらしの状態なのだ。今月に開催されるメジャー大会第3戦、全英オープンのリンクスを意識したような設計。しかも、アップダウンが激しく、グリーンは波のようにうねっていた。
松山選手は同15日の初日に備え、その前の週末に現地入り。練習ラウンドではフェアウエーをしっかり捉えていたが、グリーンには手こずっていた。好調だったショットに対し、パットが精彩を欠いた。そんな印象を受ける内容だった。
そして、迎えた本番。練習ラウンドで見た悪い方が出てしまう。インスタートの6ホール目、15番パー4で104ヤードの第2打を52度のウェッジでカップに放り込むイーグルを奪ったが、その後は散々。2〜4メートルのパットをことごとく外し、2オーバーの74で82位タイ。1イーグル、4ボギー、バーディーなしという結果をぶ然とした表情で「最悪でした」と表現した。
松山の凄さを目の当たりにしたのはホールアウト後だ。30度を超える炎天下でのラウンドだったにもかかわらず、着替えることなく、練習場へ直行。パターを取り出し、ボールを打ち始めたのだ。
カップから約1.5メートルの距離にパターの軌道を安定させるための器具を設置し、まずは左手だけで打つ。次は右手だけ。右手で打つ際には必ず、左手を脇腹の右側に置くのはストローク中の筋肉の動きを確認するためだろうか。片手で打った後に両手を使う。軌道が安定した感触を得ると、器具を取り除いてパットを打つ。同じ距離でポイントを変えた後に距離を伸ばす。あるポイントから入らなければ、入るまで、いい感触を得られるまで何度も何度も何度も何度も打ち続ける。
この日のスタート時間は午前7時51分。全長7,741ヤードのコース。3時間を超えるラウンド。もちろん、カートは使わない。内容が内容だっただけに心身ともに疲弊していたにもかかわらず、パット練習に約2時間。ドライビングレンジでショット練習に約40分を費やした。4日間の長丁場。他の選手たちが翌日に備えて練習を早々に切り上げていく中、松山選手は黙々とボールを打ち続けた。集中力の高さに驚かされた。強い理由の一端を見た気がした。
練習中にはこんな光景もあった。同大会に出場している宮里優作選手の父・優氏からパットの助言を受けたのだ。レッスンプロの同氏は、松山選手が尊敬する、女子ゴルフ元世界ラインキング1位の宮里藍選手の父でもある。その数分後にはラファエル・カブレラベロ選手にもアドバイスを求めた。大会期間中でも関係ない。前に進もうとする松山選手がいた。
その姿勢は2日目以降に結果に現れる。2日目は初日に入らなかった距離のパットを次々と沈めて、7バーディー、ノーボギーの「65」。首位に2打差の8位タイまで浮上する。3日目は逆にショットに苦しみ、それでもアンダーパーでフィニッシュ。順位を14位タイに落とし、首位との差は6に広がったが、「まだまだ諦める位置ではない」と最終日の追い上げを誓った。
その最終日は日本のゴルフ史に残るラウンドとなる。ショットとパットがかみ合い、8バーディー、1ボギーの66。一時は首位に1打差に迫る猛チャージで通算12アンダー、2位タイで戦いを終えた。4日間のパーオン率86%は堂々の1位、フェアウエーキープ率は同4位の88%。とはいえ、第1、3日の内容が頭から離れなかったのだろう。「もう少しいいプレーができた」と悔しさをにじませる松山選手がいた。
まだ25歳。裏を返せば、まだまだのびしろ≠ェある証拠でもある。「もっと自信をもってやってければ、優勝のチャンスも増える」。今月中旬には全英オープン、8月には全米プロ選手権が控えている。男子では日本人選手初となるメジャー制覇に期待がかかる。世界レベルで活躍する選手がいることが嬉しくてしょうがない。
|