宿泊したホテルに隣接する建物はオシャレなショッピング・モールだった。目の前にはウェンディーズ、デニーズ、そして、KFCがあった。見慣れたスターバックスとマクドナルドの看板は最後まで目にすることはなかったが、12階の部屋の窓から見える景色はアメリカの小中都市のそれとなんら変わりはなかった。
昨年12月下旬、ウィンターリーグの取材でドミニカ共和国の首都サントドミンゴを初めて訪れた。アメリカ・マイアミから飛行機で南へ約2時間。西インド諸島に位置する人口1000万人の島ではメジャーリーグのシーズンが終わった後の10月から翌年の1月にかけて冬季リーグ≠ェ開催される。同リーグはベネズエラやプエルトリコなど、その他の中南米諸国・地域でも行われており、最後は各国・地域のチャンピオン同士が激突する『カリビアン・ワールド・シリーズ』で王者を決める。
ドミニカ共和国は言わずと知れた野球大国だ。13年に行われた第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で初優勝。史上初の8戦全勝の偉業に国民が狂喜したと教えてくれたのは、今回の滞在でお世話になった某メジャー球団のスカウトA氏だった。
昨季のメジャーリーグの開幕時の登録選手868人のうち同国出身選手はアメリカ以外では最多の83人。ボストン・レッドソックスのデービッド・オルティス、シアトル・マリナーズのロビンソン・カノ、ロサンゼルス・エンゼルスのアルバート・プホルスら、錚々(そうそう)たる顔ぶれである。
シカゴの野球ファンにとってドミニカ共和国と聞いて真っ先に思い出すのは、かつてカブスの主砲として活躍したサミー・ソーサ選手ではないだろうか。98年にセントルイス・カージナルスのマーク・マグワイア選手とし烈な本塁打王争いを繰り広げた。一躍、時の人となったドミニカンが明かした生い立ちがその人気に拍車をかけた。
貧しい少年時代。靴磨きをして家計を助けた。野球好き。牛乳パックから作ったグローブでプレーした。サントドミンゴのホテルから見える景色からは決して想像できないが、「彼の話は決して大げさではない」とA氏。そう言って案内されたのは首都から車で東へ約30分走ったところにあるボカチカという街だ。白い砂浜と透明度の高い海で有名なリゾート地。しかし、ひとたび内陸へ入ると、その景色は一変する。
つぎはぎだらけの家が建ち並び、手持ち無沙汰な人々が道端でたむろしている。舗装されていない道をボロボロのタクシー・バイク≠ェ土煙を上げて行き交う。野良犬の数は一匹、二匹ではなかった。牛乳パックのグローブを見ることはなかったが、野球を楽しむ少年たちが手にしていたボールはどれも手作りで形はいびつ。ソーサ選手が口にしていた世界≠ェそこにはあった。
さらに内陸を進んでいくと、メジャー各球団のアカデミーが見えてくる。広大な敷地に造られた施設がまぶしく光る。中南米各国でスカウトされた10代の若者たちがここに集められるという。ぐるりと取り囲む有刺鉄線のフェンスが現実の厳しさを象徴しているようだった。
「この国の最低月給は400ドル。月に700ドルをもらえればかなりのものだ」とA氏は言った。年俸にして8400ドル。このほど発表された来季のメジャーリーグの最低年俸は50万7500ドルだ。
バックネット裏で観戦した3試合。メジャーリーグでは見られない異質の興奮がそこにはあった。野球に対する情熱がハンパないのだ。ドミニカ共和国が野球大国と呼ばれる理由を実感した。
|