うれしいなんてもんじゃない。きっと、その瞬間、こん身のガッツポーズを繰り出したことだろう。いや、もしかしたら大粒の涙を流して喜んだかもしれない。
何度も何度も面接で落とされ、ようやく念願の仕事を手に入れたのだ。
かつて僕に言った言葉を思い出す。
「メジャー球団の監督になることは私の目標だけども、それは考えないようにしている。監督の話がいつ来てもいいように今は心の準備をするだけです」
焦っても仕方がない―。そう自分に言い聞かせているようだった。
ボー・ポーターが来シーズンからメジャーリーグのヒューストン・アストロズの監督をすることになった。ポーターは当コラムで過去に2度ほど登場した人物でもある。
初めて取材したのは1999年春。当時はシカゴ・カブス傘下、3Aアイオアに所属していた野茂英雄氏のチームメートだった。初対面だったにもかかわらず、クラブハウスで気さくに話をしてくれたことは今もはっきりと覚えている。
アフリカ系アスリート特有の均整の取れた肉体をもった外野手だった。野茂氏はすぐにチームを去ったが、ポーターはその年の5月にプロ入り6年目にしてメジャーに初めて昇格した。しかし、目立った活躍はなく、99年オフにオークランド・アスレチックスへ、その翌年にはテキサス・レンジャーズへ移籍。結局、メジャーでは出場89試合、打率・214、2本塁打、8打点という平凡な記録を残し、人知れず現役を引退した。03年、30歳の秋のことだ。最後の2年はマイナー暮らしだった。
しかし、引退後も野球からは離れることができず、05年に指導者になることを決意。フロリダ・マーリンズ傘下のマイナーチームの打撃コーチやサマーリーグの監督をへて、07年にマーリンズのコーチとして“メジャー昇格”。昨季からはワシントン・ナショナルズの三塁コーチを務めていた。
ここまで来れば、目指すは指導者の頂点にあるメジャー球団の監督だ。ところが、10年と11年の2年でマーリンズやピッツバーグ・パイレーツなど、計4回も監督候補に挙げられながら最終面接でアウト。その経緯を話す本人の落胆ぶりは相当なものだったが、僕が大丈夫だと思えたのは、ダグアウトの中で触れ合う選手たちとの間にとてもいい空気が流れていたからだ。全体練習前に行うアーリーワークに付き合い、練習中も積極的に話し掛ける。どの社会でも一番大切なコミュニケーションがしっかり取れていた。そんな評判が監督抜てきを後押ししたのだと思った。
ただし、前途洋々とは簡単には言えない理由もある。
05年に球団史上初のワールドシリーズに進出したアストロズ(ワールドシリーズではシカゴ・ホワイトソックスに完敗)だったが、その後は低迷し続けている。
特に今シーズンを含む、最近2年は年間100敗を喫し、ナショナル・リーグ中地区の最下位はもちろんのこと、メジャーリーグ30球団の中でも『最弱』の部類に入る。主力選手を次々と放出する、いわゆる“再建モード”。若い有望選手は多くいるが、チームを支える柱になれるかどうかの見極めには時間が必要だ。その状況下でメジャー監督の経験のないポーターを起用したことは、フロント陣が「今は我慢の時」と見ていることを意味するのだが、その我慢がいつまで続くかはだれにも分からない。
もちろん、暗い話ばかりではない。
アストロズは来季からアメリカン・リーグ西地区に移ることが決まっており、球団としては生まれ変わるチャンスでもある。
また先月の当コラムでも書いたが、ロジャー・クレメンス投手がアストロズで3度目か、4度目の現役復帰を果たす可能性が高い。そうなれば、クレメンスの目的がなんであれ、大きな注目を集めることは間違いない。そこで好投してくれればいいが、そうでなかった場合は、チーム全体にも影響することだから、取り扱いは非常に難しい。しかも、ポーターはクレメンスより10歳も若い。新人監督とベテラン投手の関係は興味深い。監督としての能力が問われることになるだろう。
次にポーター、いや、ポーター監督に会えるのは来年のキャンプの頃か。聞きたいことは山ほどある。再会が今から待ち遠しい。
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