ドン・ワカマツ。
その名前からイカツイ風貌の男を想像してしまいがちだが、その顔は柔和そのもの。話し振りも穏やか。やや垂れ気味の目がさらに癒しを誘う。来年2月で46歳を迎えるが、好青年という言葉が似合うほど若さを感じさせる。
フルネームは、ウィルバー・ドナルド・ワカマツ。“ドン”はミドルネームから来たものだ。ラストネームから察しがつくように日系アメリカ人。オレゴン州で生まれた4世だ。
その彼がこのほど、メジャーリーグ、シアトル・マリナーズの監督に抜てきされた。大リーグ史上初のジャパニーズ・アメリカン。もっと言えば、アジア系アメリカ人としても初めてメジャー球団監督である。
聞けば、彼の曽祖父は福岡出身。第2次世界大戦中には祖父が強制収容所に送られ、そこで父は誕生したという。もちろん、生まれも育ちもアメリカだから、日本語は「大学で勉強した程度」とワカマツ監督。あいさつ程度の単語しか知らないようだ。ただ、好きな食べ物はかなり日本人。あんころもち、カレーライス、トンカツ・・・。アメリカ人の中にはあずきの食感を気持ち悪がる人が多いらしいが、ワカマツ監督はそうでもないらしい。
野球は少年時代からはじめ、名門・アリゾナ州立大学に進学。捕手として2年〜4年まで3年連続でALL・PAC10に選出された。最後の年はキャプテンを務めたことからも分かるようにリーダーシップは生まれもっての才能だ。大リーグの本塁打記録保持者のバリー・ボンズは1学年下でチームメートだったそうだ。わがまま放題のボンズをまとめたのだから人身掌握術はかなりのものにちがいない。
1985年にシンシナティ・レッズから5巡目で指名を受けてプロ入りしたが、メジャー昇格までに6年を要した。91年、シカゴ・ホワイトソックスの一員として晴れ舞台に立ったが、控え捕手だったため、わずか18試合に出場しただけ。そのうち9試合で先発マスクをかぶったが、いずれもナックルボールを投げるピッチャーだった。キャッチングには定評があったということだろう。
その年を最後に再び、マイナー暮らしが続き、96年、34歳の若さで現役引退を決意。翌年からはルーキーリーグの監督に就き、指導者としての第一歩を踏み出した。
01、02年にはエンゼルスの捕手特別コーチ、03?06年にはレンジャーズで参謀役のベンチコーチに就任し、着々とキャリアを積み上げた。その間に監督候補として面接を受けたこともあったが、夢は実現せず。昨季はアスレチックスのベンチコーチを務めた。
今回の抜てきは過去の経験がアドバンテージとなった。ワカマツ監督がコーチとして携わった3球団はいずれもマリナーズと同じア・リーグ西地区に所属するライバルだ。年間各17試合も顔を合わせる対戦だ。「かつて所属していたチームのシステムや内情を知っていることは、対戦した時にやりやすさはあると思う」とワカマツ監督は話す。
しかし、そこはほんの一部でしかない。35人もの候補の中から他球団の関係者、特にワカマツ監督が在籍したチームのGMらから“人となり”を聞き、吟味に吟味を重ねた末に最終決断を下したジャック・ズレンシックGMは、同監督を「Preparation(準備)」「Consistency(堅実)」「Loyalty(誠実)」の3つの言葉で高く評価。その人間性を最も重視したことを強調した。
今シーズンのマリナーズは開幕直後から振るわず、6月中旬にGM、監督を相次いで解任。総年俸1億1700万ドルもの大枚をはたきながら、ア・リーグワーストの101敗を喫し、この5年で4度目となる地区最下位の屈辱を味わった。
マリナーズにはメジャー史上初の日本人野手のイチロー、同史上初の日本人捕手の城島健司両選手がプレー。94年にマリナーズを買収し、筆頭オーナーに名を連ねる任天堂の山内溥(ひろし)氏は史上初の白人ではない球団オーナーとなった。「日本」とは切っても切り離せない関係にある球団を来季からワカマツ監督が指揮を執るのは運命と言っていい。
どん底にある球団がどう変わるのか。その采配ぶりに注目だ。
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