全米プロバスケットボール、NBAに史上初の日本人選手が誕生した。フェニックス・サンズの田臥勇太選手(24)が11月3日、今季開幕戦となったアトランタ・ホークス戦で第4クォーター(Q)途中から出場。10分間のプレーで7得点1アシストを記録し、大きな大きな一歩を踏み出した。
みんなが待ち焦がれていた。試合は前半から一方的な展開だった。第3Qを終わってサンズが35点のリード。「ユータはまだか?」本拠地アメリカウェスト・アリーナの客席からそんなささやきが聞こえる。最終Q残り10分だった。
「ユータ!」
マイク・ダントーニヘッドコーチの声がベンチの端で待機していた田臥に飛んだ。拍手と歓声。超満員1万8422人がすぐさま反応した。中にはスタンディングオベーションで日本人初の快挙を称える者もいた。
「4Qに入ったら来るなと思っていた。予想していた感じで呼ばれました。いつでも試合には出たいんでね、なので、早く来ないかな、と思ってました」
身長175センチ。NBAで2番目に小さな男が、風のごとく、コートへ飛び出した。
NBA選手は子供の頃の夢だった。田臥は1980年、神奈川県横浜市に生まれた。バスケットを始めたのは小学校2年から。高校は秋田の名門、能代工業。1年からポイントガードの座を勝ち取り、史上初の3年連続3冠(高校総体、国体、ウィンター杯)の偉業に貢献した。98年には高校生ながら日本代表候補、翌年のナイキ・フープサミットには世界選抜のメンバーにも選出。絶えず、脚光を浴びていた。
日本の大学へは行かなかった。99年9月にNCAA2部のブリガムヤング大ハワイ校へ留学した。しかし、田臥は言う。
「僕は小、中、高と日本でやってきて、教えられたことに誇りを持ってます。僕は今までやってきたことで勝負している。もちろん、こっちのバスケも体で覚えていかないといけないことですけど、日本の子たちは今やっていることを大事にしてほしいと思います。逆にアメリカ人ができていないこともたくさんあると思う」
NBA初のボールタッチは残り9分18秒。トップの位置からいきなりジャンプシュートを放った。大歓声。ボールはリングに跳ね返される。ため息。その一挙手一投足に会場はエキサイトした。
歴史的な初得点は残り6分33秒。相手の反則から得たフリースローを2本、きっちり決めた。その1分半後には相手ディフェンスとの間合いを見ながら正面から約6メートルの3点シュートにも成功。残り1分10秒には初アシストもマーク。すでに勝敗が決している試合が異常な盛り上がりを見せた。
試合後の記者会見。全身全霊でプレーした10分間を「全く緊張しなかった。むしろ、楽しかった」と振り返った田臥は言った。
「今日でこの試合は終わり。これからが本当の勝負なので自分の中では気持ちは切り替わっています。前を見てます」
11月6日のネッツ戦にも出場した田臥は3分で2アシスト2リバウンドを記録したが、その2日後にベンチ・メンバーから外された。チームが新戦力を獲得したため、押し出された格好となった。同9日のシカゴでのブルズ戦は私服でベンチ入り、その勇姿を披露することはできなかった。勝負はこれから―。田臥の挑戦は始まったばかりだ。