最近私の周りでは、可愛がっていた犬や猫が重病にかかったり、亡くなったることが続きました。その度に胸が痛み悲しく思うことが多い日々でした。そんな矢先に、私自身も10年間一緒に生活を共にしてきたゴールデンリトリバーのルービーを亡くしてしまいました。毎月読者からの質問に答えるこのコーナーですが、今月は私の体験を少しだけシェアさせて頂きたいと思います。
ペットロスは、親族や友達を亡くすのと同じくらい辛く悲しい出来事です。愛するペットが今までの生活の中からいなくなり、飼い主は途方にくれながら、悲しさのあまり、毎日どの様に生活をしたらよいかわからくなる人もでてきます。「こんなに辛いなんて。」「もう逢えないなんて。」悲しみだけでなく、孤独感さえも感じてしまいます。なぜなら、ペットを失った孤独感だけでなく、周囲にペットを失う悲しみをわかってもらえないという寂しさも加わるからです。それは、周囲に気持ちを理解してもらえない、または、わかってもらえないだろうと思って、悲しみをシェアすることができないからです。
私自身、ルービーがいつもいた場所にいなかったり、玄関でお出迎えもなければ、ワンワン!の声も聞こえません。もう一緒に散歩も出来ないし、話かけること、ましては触れる事が出来ない事を再確認する毎日の繰り返しです。実は、お友達に話をしてもいいのかな?理解してもらえるのだろか?話したら相手に気を使わせてしまうだろか?などと思うと、自分自身がカウンセラーにも関わらずなかなか話せませんでした。つらい〜と心の中で叫びつつ、いつもと変わらなく振る舞ってする生活は、いつも以上にエネルギーが要るのだ実感しました。
9年前、ルービーの父親、チャウダーという犬を亡くした時に、悲しみを隠していた私にある友人から「普通にしているからなんとも無いってことだね。心配しすぎちゃったかも」なんて言われたことがあり、やはりペットを失った悲しみは周りにはわかってもらえないと思ったことがあります。でも一方で、「どうしているの?」「チャウダーがいなくて大丈夫?」「辛いと思うけれど頑張るんだよ」と言ってくれる人に会うと、話してよかったと思い、理解してくれる人の存在を本当にありがたいと思いました。
きっと皆さんの中にも、同じような経験をされた方がいると思います。そんな時、自分で少しだけドアを開けるだけで、気にかけて接してくれる人が近づいて来てくれるのではないかと思います。私が、ルービーの父親を亡くした時には、親友が「またチャウダーには絶対にいつの日か逢えるから、その時を信じて毎日ゆっくり進んでいけばいいよ」と言ってくれました。そして、この言葉に私は救われたのです。
自分が大好きだった彼らとの別れの悲しみや辛さは直ぐには消えません。時間が過ぎていく中で、少しづつ、少しづつ、和らいでいくのです。逢いたいけど逢えない悲しみ、触れたいけどもう触れられない辛さ、一緒にもう時間を過ごせない寂しさはあっても、一緒に過ごせた時間は一生の宝物であり、他の何にも変えられるものではないのです。私たちの所に来てくれて、「ありがとう」と思うことで、彼らも天国にいけるのだと思うのです。
悲しみを我慢する必要は一切ありません。辛い時や悲しい時には泣けるだけ泣いていいのです。涙を流す事でココロのクレンジングにもなるはずです。そして大好きだった彼らとの別れをわかってくれる人がいるのであれば、思う存分、話を聞いてもらいましょう。
初めて「またいつの日か逢えるよ。」という言葉を親友から聞いた9年前、そしてまた今回ルービーを亡くした事で、「今は辛いけれど、これからの毎日、少しずつ気持ちが楽になっていくことを信じると同時に、私のココロの中でルービーの居場所を確保し、希望を持ち毎日を過ごしていこう。」と思わせてくれたあの言葉に改めて、感謝しています。
「またいつの日か逢えるよ…」を信じて…。
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