2015年度
JCCC新年会のご報告
今年もシャンバーグのルネッサンスホテルでJCCC主催の新年会が行なわれました。その様子をご報告します。
新年会の第一部は、厳かな「春の海」をバックに、艶やかな和装の司会者の登壇で幕を開けました。JCCC会頭の寺田氏や、在シカゴ日本国総領事館の吉田総領事の新年挨拶を頂戴した後、双葉会補習校の高校3年生森島君による新年の抱負の発表があったのですが、その逞しく、そして力強くもある森島君のスピーチには、未来に続く新しい息吹を強く感じました。そして、恒例となったシャンバーグ市長、アル・ラーソン氏による乾杯の音頭が高らかに行なわれ、第一部は終了し、ランチタイムが参加者の談笑と共にスタートしました。
1964年に設立以来、来年で50周年を迎えるJCCCという事もあって、今年はゲストに、昨年デビュー50周年を迎えられた加藤登紀子さんが招かれました。ランチ後に行なわれたコンサートでは、冒頭から名曲「百万本のバラ」を歌いながら颯爽と真っ赤なドレスで加藤さんがステージではなく、観客席に登場しました。歌と歌の間に軽妙なトークを交えつつ、一人でも多くの観客と触れ合いたいと言わんばかりに会場の最後列にまであの特徴のある笑顔で観客と握手をしてまわる加藤さん。本当に端から端まで練り歩いておられたので、実際に彼女がステージに上がったのはなんと三曲目の「時には昔の話を」でした。そんな加藤さんの心意気に呼応するように、参加者の手拍子がずっと鳴り止まずに続いていたのが印象的でした。
大学時代にシャンソンコンクールに出場したのがきっかけで歌手デビューすることになったという加藤さんは、71歳という年齢からは想像もつかないほど伸びやかで、かつ憂いを帯びた声で中森明菜さんに楽曲提供した「難破船」や、昨年亡くなられた高倉健さん主演の「居酒屋兆冶」の主題歌「時代遅れの酒場」などを熱唱。会場には古き良き昭和の香りが漂い、同時に異邦の地で暮らす者が抱く望郷の念が満ち溢れたように感じました。
曲と曲の合間には、デビュー当時から現在に至るまでの貴重な映像も交えつつ、加藤さんは当時に思いを馳せながら懐かしげに素敵なトークを繰り広げてくださいました。中でも高倉健さんとの映像が映し出された時には、彼の誠実な人柄を感じさせるエピソードの数々を紹介すると同時に、私達の知らないとてもお茶目でユーモアあふれた彼の一面を話してくださり、観客席からも笑い声があがりました。
そして、コンサートが佳境に達すると、東日本大震災の後、何度も実際に東北の地に足を運んで地元の人達と接した彼女でしか作れなかったであろう曲、「いまどこにいますか?」、そして「青いこいのぼりと白いカーネーション」が当時の映像と共に披露されました。歌いながら、当時を思い出し目頭を押さえる加藤さんの姿には、悲しい歌の中にも希望があり、生きていること、そして大切な人は心の中でずっと生き続けるんだというメッセージがひしひしと伝わってきました。
コンサートが終了すると、花束や記念品の贈呈が行われ、その後で参加者全員との唱歌「ふるさと」の合唱が行われました。子供の頃、学校で教わった時には意味の良く分からなかった歌詞でしたが、大人になり、色々な思いを重ねた今では、一つ一つの言葉が心にじんわりと染み渡るようでした。きっとその思いは会場全員が共有できたことと思います。
加藤登紀子さんのコンサートの後には、これまた恒例の福引大会が行われ、豪華なプライズの数々に会場のいたる所で歓声があがりました。そんな福引大会が終わると、閉会式が行われたのですが、この日は、会の終わりに実行委員長による三本締めが新年らしく行なわれました。ここでも会場全体が一体になり、みんなで一丸となって2015年を明るい年にするぞという意欲を大きくアピールしているようでした。
2015年は終戦後70周年という節目の年でもあります。コンサート後のインタビューで加藤さんは、「21世紀は戦争の傷を乗り越える世紀であってほしい、そして平和のためにいつまでも歌い続けたい」、とおっしゃっていました。それは、実際に戦争を乗り越えた方の非常に重い決意の言葉に聞こえました。そんな加藤さんが、前日にシカゴ日本語補習校に招かれた時に、生徒達の礼儀正しさに驚き、とても感心したというお話をしてくださいました。「外国にいるほうが、日本人であることを意識するのかも知れませんね」、と優しく仰る加藤さんの言葉と、冒頭の森島君の決意の言葉が重なり、同じシカゴの人間として非常に誇らしく思えた瞬間でした。
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