Q 聖マタイルーテル幼稚園は、どういう思いから設立されて、どういった教育方針をもっているのですか?先生のバックグラウンドも教えて下さい。 |
聖マタイルーテル幼稚園は、もともとは現地の子ども達の為の英語の幼稚園でした。 私も最初の2年間は聖マタイ幼稚園でプリスクール、キンダーガーデンの先生として教えていました。 16歳の時に沖縄から単身で渡米し、日本人の全くいない田舎の高校、大学(幼児教育)を卒業し9年間どっぷり英語づけの生活で、大学卒業後は、普通に現地の先生としてお仕事をしていました。
幼稚園はナイルズという所にあるのですが、いろいろな人種がいて田舎の大学から出てきた私にはとても新鮮な場所でした。 教師なりたて波乱万丈一年目も何とかクリヤーし、あっという間に二年目が始まりました。さぁ!今年も頑張るぞ〜! と、やる気満々に腕を広げて子ども達を迎え入れる私の目の前に、泣いて、泣いてママから絶対に離れようとしない一人の女の子がいました。この子はイラクから来た女の子で、英語がまったく理解できませんでした。ママは、「大丈夫だよ。」と、優しく女の子をなだめているのですが、ママが恋しくて全く泣き止みませんでした。 ママも身を裂かれる思いで、私の腕に子どもを置いて何度も振り向きながら教室から出て行きました。3歳の小さい身体で必死にママの後を追いかけようとする彼女を私はしっかりと抱きしめ、「It’s
OK, Mommy is coming back soon…」 (大丈夫だよ。ママはすぐ帰ってくるからね。) と、彼女をなだめましたが、英語の理解できない彼女には何の意味もなかった言葉だったのでしょうね。すぐに帰ってくる。。。と言ってもそれは3時間後。。。小さい彼女にとってのママのいない訳の分からない3時間はすごく長かったものだと思います。 「大丈夫、子どもだから環境にもすぐに慣れる。」と私も信じていたし、これは根気勝負だな。と考えていました。そんなやり取りを毎日繰り返していたある日の事です。この女の子が突然泣き止んだんです。 ばたばたさせていた手足が動かなくなり、じっと椅子に座ったのです。「やった!」と、喜んで彼女の顔を見て、私は心が重くなりました。 3歳の彼女が私とのやり取りで学んだ事は、幼稚園に慣れる事ではなく、「私がどんなに抵抗しても無駄なんだ。。。」と三歳の彼女なりに気がついた事だったのです。無表情にドアを見つめる彼女にいくら話しかけても私の目を見ることするらせず、じっとママが出て行ったドアを見つめている彼女がいました。そんな彼女の目が今でも忘れられません。
彼女と同じような状況に立たされている子ども達が沢山いるんじゃないかな。。。英語も出来ず、不安なまま新しい環境の中へ入っていかなければいけない子ども達。 言葉が通じれば少しでも安心させてあげる事ができるのに。。。日本人の私が何か子ども達の為に出来る事はないかな。。。 と、考えて出来たのが現在の聖マタイルーテル幼稚園日本語部です。
今でも幼稚園では毎日泣き声が聞こえてきます。でもその泣き声はお友達とけんかして悲しくなったり、おもちゃの取り合いになってくやしくなったり。。。それは、いろんな経験をしている学びの泣き声なんですね。理解できる言葉の中で泣いたり笑ったり、幼児期に必要な経験を遊びを通して沢山させてあげ、豊かな心を育てるサポートをこれからもしていければと思います。