感極まって言葉に詰まった。あふれる涙をこらえるその表情にこれまで経験してきた苦しみの大きさが見えた。
2016年12月、メリーランド州ナショナルハーバー。メジャーリーグのウインターミーティングが開催されたホテルの記者会見場でロサンゼルス・ドジャースはリッチ・ヒル投手と3年契約で合意したと発表した。
リッチ・ヒル。シカゴ・カブスのファンにとっては記憶に新しいだろう。
108年ぶりのワールドチャンピオンに歓喜した昨年のプレーオフ。ワールドシリーズ進出が懸けたドジャースとのナショナルリーグ優勝決定戦第3戦でカブス打線が手玉に取られた相手がヒルだった。6回でたった2安打しか奪えずに完敗。エースのジェイク・アリエッタ投手を見殺しにした、シリーズのターニングポイントになりかねない試合だった。
3月で37歳を迎えるベテラン左腕。カブスはプロ野球選手としてその第一歩を踏み出したチームでもある。ミシガン大から2002年ドラフトで4巡目指名され、3年後の05年にメジャー初登板。デビューから3年目の07年に32試合、195イニングを投げて11勝を挙げた。カルロス・ザンブラーノ、テッド・リリー、ジェイソン・マーキーらと強力ローテーションを形成し、将来を嘱望された。
ところが、翌年はけがに泣き、わずか1勝に終わると、そこから流浪の旅が始まる。
09年にボルチモア・オリオールズへ移籍したが、7月に左肘を、9月には左肩を痛めて長期の戦線離脱を強いられた。10年はセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結ぶも開幕直後に戦力外となり、ボストン・レッドソックスへ。
先発から中継ぎに転向して結果を残し、契約延長にこぎつけたまではよかったが、さらなる試練が待っていた。11年6月に左肘靭帯断裂の大けが。靭帯再建手術を受け、約1年のリハビリを余儀なくされた。13年はクリーブランド・インディアンスで63試合に投げて完全復活したかに見えたが、14年はレッドソックスとマイナー契約。同じシーズンにロサンゼルス・エンゼルス、ニューヨーク・ヤンキースでもプレーした。
極め付きは15年だ。ヤンキースをクビになった後、メジャー球団からは見向きもされず、独立リーグのロングアイランド・ダックスで投げたのだった。移動では早朝6時の飛行機に乗るために夜明け前に空港に集合。ベンチにトイレが設置されておらず、試合中はバケツで用を足したという。
野球選手としてのどん底の時代だったが、ヒルはその1年前に私生活で辛い経験をしている。13年12月に誕生した次男をたった2カ月で亡くしている。
ドジャースとの3年契約が発表された記者会見場。アンドリュー・フリードマン編成本部長とデーブ・ロバーツ監督の間に座ったヒルは、自分を高く評価してくれた球団に感謝した後、声を震わせながらこう言った。
「ここにいる家族、妻のケイトリンと息子のブライスとブルックスに感謝したいと思います」。生きていれば3歳になる次男の名を口にしてから「きょうは私たちにとって最良の日であり、こんな日が来るとずっと信じ続けてきました。多くの困難がありましたが、辛抱強く、一生懸命に生きてきたことから今がある。そして、私たちはドジャースとのこれからの3年を楽しみにしています」と続けた。
09年以降、8シーズンで3度の戦力外通告を受け、昨季途中まで所属したオークランド・アスレチックスと合わせると計9球団を渡り歩いてきたヒルはこうも言った。
「自分が終わったとは一度も思ったことはなかったですね」。
おのれを信じ、その道を歩み続けてきた。長く、苦しい時をへて、ようやく辿り着いた安住の地。ヒルの目から涙があふれそうになった理由がここにある。
|