かつて取材をした選手の『その後』は気になるものだ。
日本プロ野球、広島東洋カープの黒田博樹投手もその1人だ。
メジャー球団からのオファーを蹴り、1997年から2007年までプレーした古巣で野球人生をまっとうすることを決断したのは2014年のオフ。年俸が大幅に減ったこともあり、今や「男気」は黒田投手の代名詞になっている。
メジャーではロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・ヤンキースに所属。7年間の通算成績は79勝79敗、防御率3・59だった。頭部に打球を受けて長期の戦線離脱を余儀なくされた2009年を除けば、すべてのシーズンで先発ローテーションを崩すことなく投げ続け、計算できるピッチャー≠ニして高く評価された。メジャー最終年の年俸1600万ドル(約16億円)がその存在意義を証明している。
日本球界復帰時の年齢は40歳。メジャーでプレーしていたときから常に年齢との戦いを口にしていた黒田投手だったが、昨季はローテーションの柱として11勝を挙げ、日米6年連続2桁勝利をマーク。今季もここまで8勝(8月28日現在)を挙げ、7月23日の阪神戦では日米通算200勝も達成した。
名実ともに超一流投手の黒田投手だが、ヤンキース時代の2014年に取材した際に意外な言葉を聞いた。
「野球はしんどくて仕方がない。僕の中では楽しく野球をやってるという感覚はあんまりない」
えっ!?
思わず、そんなリアクションをしたのを覚えている。
そんなやり取りをしながら思い出したのは、その1年前の13年7月に黒田投手が先発したミネソタ・ツインズ戦での出来事だ。
その試合は3回から本降りになった雨の影響で4回終了後に一時中断。通常、中断時間が1時間を超えると、首脳陣はけがのリスクを考慮し、投手を交代させるが、黒田投手は他の選手がロッカーで休息する中、室内練習場にこもって体が冷えないよう動き続け、続投の意思を示した。
当然、ロスチャイルド投手コーチはそれを許さなかった。38歳(当時)の体を心配し、降板を命じたが、黒田投手は一歩も引かない。2人のやり取りは次第に激しくなり、「ちょっと言い合いになりました」(黒田投手)。
結局、中断時間は1時間13分に及んだが、最後は投手コーチが折れ、黒田投手は再び、マウンドに上がり、5回6安打無失点で白星を手にした。
なぜ黒田投手がコーチと言い争ってまで続投にこだわったのか。それは、「野球が楽しくない」と言った理由を聞けば、おのずと見えてくる。
「いいピッチングをして勝ってチームに貢献できれば楽しいですけど、そんなのは一瞬。次、打たれたら(周囲の)信頼を失う。準備は大変だし、登板翌日も気を抜けない。野球は仕事。求められるから、それにこたえようとする。だから、しんどい」。
長いシーズン。自分を律し、命を削るような思いをして、ようやくたどり着いたマウンドを簡単に譲るわけにはいかない。その1試合に懸ける強い思いが黒田投手を突き動かしていたのだった。
あまり知られていないが、黒田投手がメジャーで初めて9回を投げ切り、完封勝利を収めた相手がシカゴ・カブスだった。2008年6月6日のことだった。通算3試合に登板し、2勝1敗。防御率1・23はどの球団よりもいい。
現在、25年ぶりのリーグ優勝に向かって首位を独走するカープの原動力となっている黒田投手。再び、メジャーで投げることはないだろうが、今のカブスを相手にどんなピッチングをするのか見てみたいものだ。
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