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進学や進級など、新しい生活が始まる9月。一般的には「出会い」の季節だが、4月に開幕し、11月には全日程が終了するメジャーリーグは少々、事情が異なる。
シーズン終了後にフリーエージェントやトレードでチームが変わる「別れ」もあれば、引退をして野球界に「別れ」を告げる選手もいる。
メジャーリーグでは、秋は「別れ」の季節なのだ。
象徴的なシーンがあった。
8月24日、ヤンキースタジアムで行われたニューヨーク・ヤンキース対シカゴ・ホワイトソックスの試合。プレーボール直前のフィールドで行われたセレモニーがそれだ。
三塁側ベンチから登場したのはホワイトソックスの背番号「14」、ポール・コネルコ選手。一方、一塁側ベンチから出てきたのはヤンキースの背番号「2」、デレク・ジーター選手。38歳の前者と40歳の後者。ともにチームの顔だ。
共通するのはそれだけではない。
2人はそろって今季終了後に引退することを決めている。すでに今年が現役最後のシーズンになることを宣言しているのだ。
この日のセレモニーの主役は、ビジターチームとしてニューヨークを訪れているコネルコ選手の方。「6番・指名打者」で出場することになっていた同選手にとってヤンキースタジアムでプレーするのはこの日限り。ジーター選手からねぎらいの言葉を掛けられ、ヤンキースのメンバーのサインが入ったベースをプレゼントされた。
ロードアイランド州出身のコネルコ選手。初めてメジャーリーグの試合を観戦したのが現在のヤンキースタジアムの隣にあった旧ヤンキースタジアムだった。子供のころの野球場と言えば、ヤンキースタジアムしか知らなかったという。「今のところ、自分の中では今日が今季一番のハイライトだね。こんなことがあるなんて考えてもしなかった」。サプライズの演出に赤いほっぺをさらに赤くした。
メジャー18年目。あまりにも長くプレーしすぎて、すっかり忘れられているかもしれないが、コネルコ選手はホワイトソックス生え抜きの選手ではない。94年ドラフトで1巡目、全体の13番目でドジャース入り。今や、一塁手か指名打者のイメージしかないが、元々は捕手。高卒ながら高位で指名を受けたところに期待の大きさがうかがえる。
マイナーで着実に力をつけ、97年にはメジャーにもっとも近いクラスの3Aで打率・323、37本塁打、127打点という驚異的な数字を残し、その年の9月にメジャーデビュー。しかし、チーム事情から98年7月にシンシナティ・レッズへトレードに出されると、その4カ月後にはマイク・キャメロン外野手との交換でホワイトソックスへ移籍。開幕前には有望株ランキングで2位の高い評価を受けたシーズンは一転、激動の1年となってしまった。
98年と言えば、ホワイトソックスがシーズン途中に一気に主力選手を放出し、将来有望な若い選手をかき集めたホワイトフラッグ(白旗)・トレード≠フ翌年だ。再建まっただ中のチームにあってコネルコ選手も将来を託された選手の一人だったというわけだ。
とはいえ、当時の年俸はわずか21万5千ドル。結果を残さなければ、簡単に切り捨てられる。そこでコネルコ選手は奮起する。移籍1年目で142試合に出場し、打率・294、24本塁打、81打点。一塁手の座を不動のものとし、大黒柱だったフランク・トーマス選手を指名打者へ追いやった。
2000年にはジェリー・マニュエル監督の下、7年ぶりの地区優勝。ジー・ギーエン監督2年目の2005年には1917年以来、実に88年ぶりのワールドチャンピオンとなる。メジャー16年目の2013年の年俸は1350万ドル。デビューした98年の17万ドルの約80倍だった。
性格からか、メジャーでは地味な部類に入る選手だが、オールスターには6度出場。ここまで残している成績(9月1日現在)は2341試合、打率・279、439本塁打、1412打点。ホワイトソックスでは歴代1位の4007塁打、同2位の432本塁打&1383打点(1位はともにトーマス)といった輝かしい数字が並ぶ。
ホワイトソックスのシーズン最後のホームゲームは9月28日。球団広報部によると、同25日から28日に行われるカンザスシティ・ロイヤルズとの4連戦でコネルコ選手の引退セレモニーが行われるという。
ホワイトソックスの黄金時代を築いた選手。トーマス選手のように殿堂入りできるとは断言できないが、球団のホール・オブ・フェイマーとなり、背番号「14」が永久欠番になることは間違いない。USセルラーフィールドのスタンドから最後の雄姿を見届け、歴史の生き証人となるのもいいだろう。
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