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意気消沈のクラブハウスでその選手だけがピンスポットを浴びたように輝いていた。10月16日、ドジャースタジアムで行われたナショナル・リーグの優勝決定戦第2戦。ロサンゼルス・ドジャースに敗れたフィラデルフィア・フィリーズの選手の中で最も多くの報道陣を集めたのは、この試合で先発したペドロ・マルチネス投手だった。
勝敗を分けたのは8回裏。1点をリードしていたフィリーズがエラーで同点に追いつかれ、さらに2死満塁から押し出し四球で勝ち越された。なんとも後味の悪い負け方だった。
ペドロは8回表に代打を送られて交代しており、逆転される場面はダグアウトから見つめていた。彼が敗因を作ったわけではなかったが、それでも多くのメディアが押し掛けたのは、その投球内容があまりにもすばらしかったからだ。
7回を投げて2安打無失点。許した走者は死球を含む3人だけ。先発投手は6回を3失点で乗り切れば、「クォリティ・スタート(QS)」と呼ばれて評価される現代の野球において、この日のペドロは三塁さえ踏ませない圧巻のピッチングを披露。投げた球数はわずか87。先発投手の交代の目安は通常100球。試合は1―0で勝利投手の権利を得ての降板とあって、交代を告げたチャーリー・マニエル監督に報道陣からは「なぜ?」の声が上がったのは言うまでもなかった。
ペドロが注目されたのはこの日だけではない。かつては「メジャー最強右腕」とたたえられてきた投手。モントリオール・エクスポス(現ワシントン・ナショナルズ)に所属した97年にシーズン17勝、防御率1.90で、ボストン・レッドソックスでプレーした99年には23勝、防御率2.07、その翌年には18勝、防御率1.74といういずれも驚異的な数字で年間最優秀投手賞にあたるサイ・ヤング賞を合計3度受賞した。90マイル後半(時速150キロ後半)の剛速球とチェンジアップ、カーブを織り交ぜた投球で相手打者を翻弄。シアトル・マリナーズのイチロー外野手も対戦を心待ちにしたほど魅力的な存在だった。
しかし、そんなペドロもけがには勝てなかった。ニューヨーク・メッツに移籍後の06年後半以降は足や肩の痛みに苦しみ、07、08年の2年間の登板数はたったの25。先発ローテーションを守り切れば、1年で33試合前後の登板数があることを考えれば、さびしい限りだ。思うようにリハビリが進まず、引退を示唆する発言を口にするほど追い詰められた時期もあった。
終わった―。
周囲がそんな目で見るようになる中、今季のペドロは見事に復活を遂げた。夏にフィリーズと1年100万ドルで契約(ちなみに昨季の年俸は1100万ドル)し、マイナーでの調整をへて8月12日にシーズン初登板。計9試合に先発して5勝を挙げた。
そして、04年シーズン以来、5年ぶりとなる今回のプレーオフの舞台でペドロはまばゆいばかりの光を放ったのだった。なんせ、許した2本のヒットはどちらも当たり損ないの、ピッチャーにとっては不運なもの。直球は全盛期より10マイル(約15キロ)も遅くなっているが、相手打者の心理を見事に読み、チェンジアップ、カーブ、スライダーの変化球を織り交ぜた投球術は、ほとんどバットの芯に当てさせることはなかった。
5年前との違いは?そんな問いかけに、38歳の誕生日を目前にしていた右腕はこう返答した。
「今の僕にはもう97マイルの速球は投げられない。でも、90マイルそこそこのボールと、変化球をうまく使えばアウトは取れる。制球力で打者を抑えることはできるんだ」
胸を張り、笑みを浮かべて話すペドロ。その周りを取り囲んだ記者たちの顔もほころんだのは、再び、ペドロが打者を翻弄する投球を見せてくれたことに喜びを感じていたからではないだろうか。
さらに記者たちを興奮させたのは、ペドロが「来年も投げることを考えている」と現役続行を明言した時だった。ただし、ある条件をクリアできれば、引退の可能性があるとも言った。その条件とは、ワールド・チャンピン。「もし世界一になることができた時は母さんに相談して決めることになるだろう」と冗談交じりに話した。
ドジャースに惜敗しシリーズを1勝1敗としたフィリーズだったが、地元に戻って怒とうの3連勝。対戦成績を4勝1敗とし、2年連続ワールドシリーズ進出を決めた。昨季はタンパベイ・レイズを破ってワールドシリーズ制覇を果たしているチームの実力はすでに証明済みだ。今年の相手は6年ぶりのシリーズ進出となったニューヨーク・ヤンキース。言うまでもなく、人気と実力を兼ね備えた球団である。
レッドソックス時代にはヤンキースとのプレーオフで乱闘勃発。ペドロが相手のベンチコーチだったドン・ジマーをフィールド上で投げ捨てたシーンは球史に残る名場面だ。きっとシリーズ中も当時の映像が流されることは間違いない。
世界一を決める舞台で今度はどんなピッチングを見せてくれるのだろうか。
ペドロの登板が待ち遠しい。 |