|
禅、と聞いて何を思い浮かべますか? 足を組んだ瞑想状態、意味のわからない全問答、あるいは、最近の流れで、ちょっとヒッピーがかった髭や髪の毛が伸び切った人達の集まり…。どちらにしても、なんだか「入り込めないよぉ」的な雰囲気が無きにしもあらず、ですよね。皆さんご存知のように、禅というのはもともと仏教、それも大乗仏教の一派である「禅宗」の略、あるいは、サンスクリット語のDhyana(ディヤーナ)の事でして、やはり、宗教は宗教なわけです。が、最近のアメリカ、西洋の社会では、この禅の教えというのが、いたるところで讃えられ、見直され、愛されている、と。これはいったいどういう事なのでしょうか?
もっぱらAI(Artificial Intelligence)へ機動を向けているIT産業界、グーグルにアップル、マイクロソフトにアマゾン…みなさんの知っている最先端の企業、こちらの有力者達が、ここぞ!とばかりに「禅のエッセンス」を生活や仕事の中に取り入れようとしているのだそう。なぜか?ここに「マインドフルネス」という言葉が出てきます。これは『自分の心の中を知り、自分の求めるなにかを自身の中から見つけ出し、求めていくこと』なんだそう。ふ〜ん、わかるようなわからないような…、ですが、これを可能にするツールとして「禅」の修行のひとつである「瞑想」が出てくるわけですが、ここで大切なのは「なにかを求めて瞑想してはいけない」。禅の世界では、瞑想は達成するためのものでなく、ひたすらに心の中の自分を感じる、そして様々なエゴ的思考をスローダウンすること、にあるんだそうです。
そして、座禅の時に出てくる、リラックス効果の高いα(アルファ)派、さらには寝ているような平和な状態のθ(シータ)派、最後にδ(デルタ)派という、クリエイティブ・エナジー抜群の脳はが生まれてくるのだそう。δ派の域まで感覚を得られるようになるには、かなりの修行時間が必要なようですが、それでも、座禅がどんなに体にも心にもいいかという流れがわかりますよね。そして特に何か準備する必要もなく、目を閉じ、足と手を組み、深く呼吸をする…、これだけでいいのですから、お金もかかりません。あのスティーブ・ジョブズも熱心な禅愛好家だったようですが、この忙しい毎日、AI化ばかりが注目される社会だからこそ、あえて「心の知能指数」と呼ばれる「EI(Emotional
Intelligence)」に惹かれる人が増えていっているようです。
さてさて、もう一つ、シリコンバレーあたりで流行っているイベント、これがなんと「茶の湯」なんだそう。そもそも茶道とは、茶室という小さな、静かな場所で、物質的に満たされない状態でも、心の真実と向かいあいながらお茶を立てることに集中して、精神を高める…、つまり、禅の教義とコンセプトは同じようです。「露地」と呼ばれる茶室に繋がる小道のある庭、ここを通る人はどんなに位の高い武士でも、刀などを持たず、一人の人間として茶の湯に向うように指示されていたそうです。現代社会の肩書きや妙なエゴも捨てて向き合う事によって初めて理解できる真実の心、これはお茶をいただく前からはじまっているのですね。こういったコンセプトと同時に、健康を考えた「緑茶ブーム」というのも手伝って、アメリカ国内で茶の湯が流行っているのもうなずけます。そうそう、アメリカ国内には、なんと大きなものから小さなものまで「日本庭園」と呼ばれる場所が300位上あるらしく…いろんな意味で、米国人の日本の精神文化に対する興味が高いのがわかります。
禅の世界からきた言葉、「漢字が多くて、わかりにくぅいぃ」と思われる方が多いと思います。筆者もそのひとり、特にアメリカに住んでいると(いいわけですが)漢字離れはしょうがない。というわけで、あえてここでいくつかの禅の教えをご紹介させていただきます。漢詩の授業が苦手だったあなたも大丈夫、かなをふっておきました!
意訳となっておりますので、読者のみなさんの感覚で禅の言葉を理解、そして毎日の生活に役立ててみてくださいね。
●我逢人(がほうじん)…人生は、人と出会うことからはじまる。その出会いを大切に、相手を尊く思って過ごしましょう。
●無事是貴人(ぶじこれきじん)…人は自分と向き合ったときに、はじめて自分自身を理解できる。そのままの自分でいいのです。
●本来無一物(ほんらいむいちもつ)…この世のほとんどの問題は、自分がつくりあげた妄想。本来は、何もないものだ、と思ってしまえばいい。
●一期一会(いちごいちえ)…出会いを大切にしましょう。今日この日に出会えた事は、一度だけの特別な事かもしれません。そして、人だけでなく、物事や場所、自分自身との出会いにも感謝しましょう。
●壺中日月長(こちゅうにちげつながし)…心の持ち方次第で、ちいさなものも大きく、短い時間も長く、感じられますよ。
●歩歩是道場(ほほこれどうじょう)…どんな場所も、どんな時間も、こころがけ次第で、人生を学ぶ道場となります。
|